「うちは、もっとイノベーティブにならなければならない」
経営会議やビジョン策定の場で、よく耳にする言葉です。新しいアイデア、差別化された製品、持続可能な成長。そのすべてに欠かせないのが「イノベーション」です。
では、そのイノベーションを本当に生み出すのは、何でしょうか?
多くの人は、優秀な人材、研究開発費、デジタル技術、あるいはリスクを取るリーダーシップを思い浮かべるかもしれません。
もちろん、それらも重要です。
しかし、実はもっと身近で、見過ごされがちな「ある要素」が、イノベーションの原動力になっているのです。
それが、「社員に優しい職場環境」です。
意外に思えるかもしれませんが、これを実証データで裏づけた研究があります。
「働きやすさ」がイノベーションを後押しする
社員に優しい職場環境が、企業のイノベーションにどのような影響を与えるのか調べた、リーズ大学ビジネススクールのジエ・チェン教授らの研究があります。
この研究で特に注目されたのは、企業がどれだけ「社員に優しい職場づくり(employee-friendly workplace)」に取り組んでいるかという点です。
社員に優しい職場環境の測定
研究チームは、企業の「職場の質」を数値化するために、2つの異なるデータソースを使用しました。
1つ目は、アメリカの経済誌『Fortune』が毎年発表している「働きがいのある会社トップ100(Best Companies to Work For)」への掲載実績です。
これは社員へのアンケートと企業の制度の両面から評価され、厳格な基準をクリアした企業だけが選出されます。
2つ目は、社会的責任投資(SRI)関連のデータベース「KLD」が公表している「社員関係スコア」です。
こちらは、労働組合との関係、利益分配制度、社員参加の仕組み、退職金制度、安全衛生への配慮など、企業の雇用慣行に基づいて点数化されます。社員の主観ではなく、企業側の制度や実績に基づいて評価されている点が特徴です。
この2つの指標を用いて、「社員に優しい職場」の度合いを測定しています。
イノベーションの評価
イノベーションは、以下の3つの側面で評価されました。
- R&D(研究開発)投資額:企業がどれだけ資源をイノベーションに投入しているか
- 特許数:新しい知的財産をどれだけ生み出しているか
- 特許の引用数:その特許が他者からどれだけ参照されているか(=技術的影響力)
優しい会社ほどイノベーションが起こる
分析の結果は明確でした。
社員に優しい企業ほど、R&D投資が多く、より多くの特許を取得し、それらがより多く引用されていたのです。
つまり、職場環境の良さとイノベーションの成果は明確に関係しているということです。
「イノベーションがうまくいっているから、社員に優しくできるのでは? 因果関係が逆では?」という疑問を持つ人もいるかもしれません。
しかし、この研究では、それについても統計的に分析を行っていますが、「職場の優しさが先、イノベーションが後」という因果の流れが正しいことが支持されています。
「失敗への許容度」がイノベーションにつながる
なぜ優しい職場ほど、イノベーションが起こりやすいのでしょうか?
これについて、研究チームが重視したキーワードは「失敗への許容度」です。
イノベーションには常に不確実性がつきものです。新しいアイデアは必ずしも成功するとは限らず、多くの試行錯誤や失敗を伴います。
その中で前に進むためには、失敗を恐れず挑戦できる文化が必要です。
この点において、「社員に優しい職場」は、次のような心理的・行動的な変化をもたらすとされています。
- 心理的資本の形成:職場環境が良いことで、社員は「希望」や「レジリエンス」を育みやすくなります。これは、困難に直面しても前向きに行動する力や、失敗から立ち直る力のことです。
- 挑戦への意欲の向上:失敗しても責められない、安全な環境があることで、社員は新しい試みに対して積極的になりやすくなります。
- 目的意識の共有:企業が社員を大切に扱うことで、社員は企業のミッションやビジョンに共感し、自らの意思で創造的な活動に参加しようとするようになります。
こうした環境が整っていれば、イノベーション活動は単なる業務命令ではなく、社員自身の「やりがい」や「自発性」に支えられた、内発的な取り組みへと進化していくのです。
社員が安心して失敗できる職場環境をつくる
この研究では、どのような産業で、会社の優しさがイノベーションにつながりやすいか、という分析も行っています。
特許の内容から産業カテゴリを分類し、それぞれで職場の質がどの程度イノベーションに寄与しているかを調べているのです。
その結果、製薬・医療機器・化学産業のようにイノベーションの失敗リスクが高い分野ほど、職場の優しさの影響が特に大きくなることが明らかになっています。
つまり、失敗を恐れずに挑戦する必要がある産業ほど、心理的安全性や職場文化が重要になるのです。
結局のところ、働きやすい環境をつくるというのは、福利厚生の充実や見栄えの良い制度を整えることではなく、失敗を許容し、挑戦を支える文化を育てることなのです。
イノベーションを起こしたいなら、まずは「安心して失敗できる職場づくり」から始めてみることです。それが、長期的に企業の創造力を支えることにつながるのです。
参考文献:Jie Chen, Woon Sau Leung, Kevin P. Evans. (2016). Are employee-friendly workplaces conducive to innovation?