起業を経験した人が、会社員に戻ることは珍しくありません。そういう人材を積極的に採用したいというベンチャー企業の社長などもいます。
私の客先の伝統的な会社の経営者の中にも、元起業家を雇うことで、起爆剤となり、会社の急成長につながるのではないかと、考える人も出てきました。
確かに、元起業家は新しい事業の創出や、イノベーションの推進に貢献できる能力を持っていることが多いです。
しかし、元起業家を雇うことには大きなリスクがあります。
それは、すぐに辞めてしまう可能性が高いということです。
「起業家としてのアイデンティティ」と「組織」の衝突
元起業家が転職した際の離職率と、その要因を分析した、ラトガース大学のジャスミン・フェン准教授らの研究があります。
この研究では、まず、中国のハイテク企業22社で2015年~2018年に採用された約600人の社員のデータを収集しました。
このデータには、各社員の過去の起業経験や、入社後の離職状況が記録されていました。
これらのデータを分析したところ、起業経験のある社員は、そうでない社員と比べて、短期間で離職する確率が有意に高いことが分かりました。特に入社から約20週間後あたりで退職確率が上昇していました。
早期に離職してしまう主な要因として、「起業家としてのアイデンティティ」が挙げられます。
この研究では、「自分を起業家と認識しているか?」というアンケートも行っているのですが、この質問に「はい」と回答した人ほど、離職率が高いことが判明しています。
つまり、起業経験を持つ人は、企業に雇用された後も「自分は起業家である」という自己認識を保持し続ける傾向があり、それが企業での働き方や環境と衝突することで、離職の意思が高まりやすいということです。
元起業家の離職率に影響を与える環境
この研究では、職場環境が元起業家の離職率に影響を与えるかということも、調べています。
こちらは、アメリカの大規模な全国調査などから抽出した、1979年から2016年までの約30年間に及ぶ長期のデータを分析しています。
まず分かったことは、先ほどと同じく、元起業家は会社員に戻った後の離職率が高いということです。
元起業家の定着率が向上する環境
また、元起業家の定着率は職務の特性によっても左右されることが分かりました。
特に、仕事の自律性や起業家的な機会が少ない環境では、元起業家の離職率が顕著に高まることが示されました。
これは、元起業家が自由な意思決定や新しい事業創出の機会を求める傾向が強いため、組織のルールや制約が厳しい企業文化に適応しづらいことが影響しているためと考えられます。
一方で、仕事において裁量権が与えられ、創造的なアイデアを試す機会がある職場では、元起業家の定着率が向上することも確認されました。
再び起業するケースが多い
さらに、研究者たちは、元起業家が企業を辞めた後の進路についても分析しました。
その結果、元起業家は辞めた後に、再び起業するケースが多いことが判明しました。
つまり、元起業家の離職の背景には「サラリーマンとしての働き方に馴染めない」という問題だけでなく、「もう一度自分でビジネスを立ち上げたい」という強い動機もあるということです。
元起業家の定着率を向上させるための施策
以上のように、元起業家を採用しても、なかなか定着してくれない可能性が高いことがお分かりいただけたかと思います。
ですから、企業が元起業家を採用する際には、彼らが適応しやすい環境を提供することが重要です。
具体的には、仕事の自律性を高め、起業家的なプロジェクトを任せることで、元起業家のモチベーションを維持することができます。
また、企業内起業の仕組みを導入し、元起業家が新しいビジネスの創出に関与できる環境を整えることも効果的です。例えば、Googleが実施していた「20%ルール」(従業員が勤務時間の20%を自由なプロジェクトに充てられる制度)などは、元起業家の定着を促す手段として参考になると思います。
一方で、企業は元起業家の離職リスクを完全になくすことは難しいことも理解する必要があります。
彼らの多くは、再び起業することを視野に入れており、企業での経験を「次の起業のための準備期間」と認識しているケースもあります。
そのため、元起業家を採用する際には、「どのような役割を担ってもらうのか」「どのようなキャリアパスを用意できるのか」といった点を明確にし、双方にとって最適な関係を築くことが求められます。
雇ってはいけない元起業家の特徴
最後に元起業家を採用する際の注意を書いておきます。
元起業家が会社員に戻るというのは、起業に失敗したからというネガティブな理由のケースが圧倒的に多いです。創業した会社をM&Aして、莫大なキャッシュを手にしたのに、再びサラリーマンをやるという人は滅多にいません。
もちろん失敗したから無能ということではありません。しかし、失敗しても有能な人材であれば、他社から声が掛かるものです。特にスタートアップなどは起業経験のある人を求めているところも少なくありません。
ですから、元起業家から応募してきた場合には、慎重に見極める必要があります。あなたの会社が独自のポジションを築いている面白い会社であるなら、優秀な元起業家でも自分から応募してくる可能性はあります。
しかし、他社と特に差別化されていない、一般的な企業であるなら、そこに応募してくる元起業家というのは、どこからも必要とされていない、無能なタイプである可能性が高いといえます。
このようなタイプは、「自分は起業家なんだ」というプライドだけは高いですが、仕事は出来ないので、組織に混乱をもたらすことになりますから、気をつけてください。
参考文献:Feng, J., Allen, D. G., & Seibert, S. E. (2022). Once an entrepreneur, always an entrepreneur? Entrepreneurial identity, job characteristics, and voluntary turnover of former entrepreneurs in paid employment.